2011年3月29日火曜日

〈未完成〉という完成と〈完成〉という未完成



考えに考え抜いてもそれは尽き果てることなくさながらこの肉体に絶え間なくのしかかる重力のように重苦しく、そして陰気に、頭に覆い被さる。

しかし一見不健康な仄暗さに包まれたこの思慮の呪縛は、その連れ立った黒色の靄と撒き散らす無限の懐疑や問答の得体の知れぬ観念破壊活動が積み重なり続ける底知れぬ闇とは相反し、その実体は、熱帯地の密林の奥の奥でそこがただ一つの王国のようにこの上なく美しく瑞々しく色鮮やかに輝き生い茂る草花のように 生命の喜びに充ち、同時に、その草花が己の最大限の躍動が許された肢体を湿った風に吹かれ惜しげもなく揺らし迸る芳香を飛散させる、自在、そう、それはまぎれもなく自在の姿を、我が身に与えてくれるのではないだろうか。

苦悩は、未完成であるところの未完成形な経過運動にして、完成に向かうまでに必要不可欠な完成形の反芻運動に他ならない。

もし苦悩のかげも見せぬ人間を前にしたならば、僕は彼に〈完成〉という名の未完成を見いだすだろう。

そしてもし苦悩に憑かれた人間を前にしたならば、僕は彼に〈未完成〉という名の完成を見いだすだろう。

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2011年2月11日金曜日

駆け込み乗車への嫌悪



駆け込み乗車はいけない!何しろ滑稽だ!決して喜劇的ではない!大いに惨劇的だ!

背広姿の中年男性が駆け込み乗車をして乗車口付近に立っていた中学生くらいの少女に勢いよくぶつかりながらも知らぬふりをして「ああ乗れて良かった」とでも言いたげな安堵の表情を浮かべて一人胸をなで下ろし何事もなかったかのように携帯電話をいじり始めた!

お前は乗れて良かった!仕事にも遅れずに済んだ!今日もお前のスケジュールは狂わずに首尾よく進むだろう!

だがあの少女はどうなる!当然ながら腹も立てただろう!少女のこの始まったばかりの輝く一日をお前は破壊した!彼女が美しく脳裡に思い描いていた理想の一日 を踏みにじったのだ!彼女は胸の内のか弱き旋律を狂わせ、陰鬱な気持ちになり汚い言葉の一つも心の中で呟いたかもしれない!そのせいで彼女の可憐さも微かに失われてしまったかもしれないのだ!

電車はただの〈走る箱〉だ!誰かが何処かに向かうためだけに乗るための箱だ!それ以上でもそれ以下でもない、人間という荷物を載せ走る箱だ!何の面白味も無い、空っぽな箱だ!

だからこそ、秩序が必要なのだ!
ただ乗り、ただ揺られ、ただ降りろ!
それだけだ。それだけがその箱の秩序だ!

他人に迷惑をかけるな、などと、僕は言えた立場ではないが、おい、かの背広姿の中年男性よ、ひとつここで言っておく!

純粋な者の可憐を踏みにじるな下衆野郎!

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2011年1月16日日曜日

愛すべき可憐な魔法



異国からの帰り、空港での話。

僕がチェック・インを済ましまだ搭乗まで時間があったので空港内をぶらつき始めると、ちょうどその日はクリスマスであったために港内にはクリスマスソングが陽気に流れ土産品等の売店もささやかな装飾で楽しく彩られており、きっと子供であればはしゃぎ回るであろう微笑ましい状況に囲まれ歩く僕の心も年がいもなくわずかながら浮かれ始めていた。

その誰もが歓迎するであろう嬉しい雰囲気を味わいながら二三の土産品を購入し、僕は出国審査のゲートに向かった。

列に加わり様々な人種を眺めながら順を待ち、精悍な顔立ちをした女性職員にパスポートを手渡した後、僕は何の気なしに彼女の顔をじっと観察する。

僕と対面して小さな挨拶を交わしてもにこりともしないその女性職員は、極寒の地を思わせるほどに非常に厳格な白さをその肌に備え梃子でも動かし得ぬような重厚な信念をその鋭く青い瞳に宿しているかのよう。

彼女の厳めしい顔つきと堅苦しい表情は、あの不朽の名作映画「ライフ・イズ・ビューティフル」の一場面、強制収容所内の一室で何かにつまずき転びかけた女性所員がそばにいた老いたユダヤ人紳士の貸した手と心づかいの言葉に対し厳しい目付きで冷ややかに睨みつけ黙ったまま去っていったシーンを僕に思い出させた。

彼女はパスポートの顔写真と僕の顔を稲妻のような眼差しで見比べぱらぱらとページをめくり然るべき箇所にスタンプを押し、パスポートを僕に差し出しながら今さっきまでの冷然とした表情とは相反して見違えるほどの美しく穏やかな笑顔を浮かべると、「Thank you! Merry Christmas, sir!」と跳ね飛ぶような声で言った。

まったくその変貌ぶりは、数秒前の表情が先にも述べたユダヤ人強制収容所の冷酷なる女性所員だとするならば、今の表情はまるで空港内でのクリスマスの楽しい雰囲気に全身を最大限に任せ飛び上がるように歩き回っている可愛らしい少女のようだったんだ。

それは非常に印象的な出来事だった。
しかしそれよりもさらに印象的な対比として僕の記憶に残ったのが、12時間のフライトを経て成田へとたどり着いた時のこと。

我が成田空港内は、いたって無音だった。
港内には特別な装飾など微塵も施されず、ただ無機質な通路に人々の足音と航空機の発動音だけが時たま響いていた。

入国審査の女性職員は、むっつりとした表情で僕のパスポートを受けとると、そのままむっつりと返した。

おお、あのユダヤ人強制収容所の冷酷なる女性所員でさえも屈託なき一少女の笑顔へと戻し得てしまうほどに強烈かつ愛すべきクリスマスという可憐な魔法は、成田空港及びここに勤める女性職員には残酷なまでにまったく無力であったのだ!

真面目で勤勉、は日本人の特徴であり美徳とされている常套句だ。もちろん知っていたよ。

だけどさ、まるでホームパーティーのように気楽で陽気だった異国の空港で、この真面目で勤勉な日本人である僕も静かにはしゃぎだし、いつもの事務的挨拶に加え「メリークリスマス!」と嬉しそうに言ってくれた美しき女性職員の満面の笑顔に、同じように笑顔で「メリークリスマス!」と返した僕の決して小さくはない喜びも、それは日本人どころか国籍は問わず、この世界中の誰もが歓迎すべき、愛すべき、楽しむべき、嬉しさなのではないだろうか!

僕は「メリークリスマス」というあくまでも無邪気な祝いの言葉を空港の職員の口からはおろか港内の店先にも内装のどこにも見付けられなかったことに、幼き悲哀と、若き失望を覚えながら、タクシーに乗り込みしょげ返ったまま帰路に就いたよ。

もっと楽しもうジャパニーズ。

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2010年8月30日月曜日

セックスTV



前にTV見てたらさ、複数の欧米人女性と日本人女性が話し合ってて、欧米人が「日本人男性のここがおかしい」みたいな意見をスタジオで力説してたんだ。

それでセックスの話になってね、日本人の男はセックスというとすぐに子供に結びつけて、セックスイコール子作りで、セックスイコールメイクラブだとか、セックスイコールスキンシップだとかの概念がない、と、まあ欧米人のビッ、じゃなくて女性がこう言うわけなんだ。

すると日本人のビッ、女性がね、「日本人はそういうところがすごく遅れてるんですよね」などとおぬかしになられた。

流し見していた僕はそこで身を乗り出して憤慨したんだ。

遅れてる、だとこの野郎!

何をもって遅れてるだの進んでるだの言ってんだこのビッXは!

その大胆にはなれないある種の野暮さが日本人の良いところであり、奥ゆかしさであり、わびさびなんじゃないかビッX!

あんたには日本人としての誇りや喜びってのが微塵もないのか。

適当なこと言ってんじないよ。

僕は怒った。非常に、怒った。

でも相手はTV。たかがTV。しかもアナログテレビ。その上聞いたこともないメーカー。あげくのはてには14型のブラウン管。

最悪だね。

僕のTVじゃないけど、何しろ環境が最悪。阿呆だね、阿呆。どっからどう見ても僕はただの阿呆だったんだ。

憤然といきり立ったところで相手は14型ブラウン管アナログテレビ。

くだらないね。

そんなくだらない話だよ。

読んで損したね!

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2010年8月28日土曜日

ウイスキーコークトイクオリティサウンド



つくづく、この世に音楽があって良かったと思うね本当に。

家にいても、外にいても、職場にいても、旅先にいても、落ち着く場所にいても、 落ち着かない場所にいても、わかりあえる人といる時も、わかりあえない人といる時も、すごく見晴らしの良いとこにいても、四方八方コンクリートに囲まれた殺風景なとこにいても、スピーカーから、イヤホンから、音楽が流れ始めれば、いつもの、心地よい、または刺激的な、とにかく最高の気分になれるんだ。

いろんな絵が浮かんで、前に踊ったフロアとか、はたまた一度も行ったことのないようなクラブ、広い屋外だったり、狭いライブハウスだったり、機材の並ぶスタジオだったり、派手な装飾の施されたステージだったり、映画のワンシーンだったり、異国の街並みだったり、空だったり、人だったり、とにかく頭ん中は様々なものが浮かんでは消え、浮かんでは消え、まったく、退屈しないよ。

今僕は見知らぬ地で一人、ウイスキーコークを紙コップで飲みながら窓の外星一つ見えない夜空を眺めてるんだ。

DAPに百円で買ってきたスピーカーつなげてね、低音ゼロのシャカシャカした音楽をBGMにして楽しんでるよ。

その音質は文句なしにトイそのものだけど、それでも、ウイスキーコークの肴には十分なんだ。

まったく音楽聞かない人って、どうやって生きてるんだろう。

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2010年7月6日火曜日

収容所での食事



収容所の食堂で飯を食いまくっています。

飯がうまいんです。

僕ほど米ひと粒おかずひとかけらごとに目を閉じて味わって食っている収容員は他にいないはずです。

僕はよく思うんですが、〈選べる楽しさ〉というものがあると同様に、〈選べない楽しさ〉というものもあるんです。

大げさに言ってしまえば〈自由の喜び〉というものと同様に、〈不自由の喜び〉というものもあるんです。

まあ僕のこの場合の話は非常にくだらない話で食事のメニューのことなんですが、僕はいつも自分が食べたいと思ったものではないメニューを選ぶんです。

それも結局は「自分が食べたくないものを選ぶ」ということで〈選べる楽しさ〉になるのかもしれませんが、これが食べたい、これにしよう、やはりこれはおいしい!という喜び よりも、これを食べる気分じゃない、でもこれにしよう、おや、これもなかなかおいしいじゃない!という喜びのほうを、僕は選ぶんです。

そしてそのささやかな発見を歯で噛みしめ、意想外の収穫を味覚で感じると、脳内では穏やかなシンフォニーが響き渡るんです。

そのシンフォニーはあらゆる予定調和で退屈な道のりを、ほんのごくわずかではあるのですが、刺激し、楽しくさせるんです。

人生ってもんは、わからないです。

でも、楽しいものです。

食後、そんなくだらないことを考えながら、食堂の前のベンチでタバコをふかすんです。

ええ、僕は相変わらずです。

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2009年11月5日木曜日

坂口安吾と白痴と芸術



今、坂口安吾の『白痴』を読んでいるんだけどね、その文中にこんな箇所があるんだ。

徒党を組み、徳川時代の長脇差と同じような情誼の世界をつくりだし義理人情で才能を処理して、会社員よりも会社員的な順番制度をつくっている。それによって各自の凡庸さを擁護し、芸術の個性と天才による争覇を罪悪視し組合違反と心得て、相互扶助の精神による才能の貧困の救済組織を完備していた。内にあっては才能の貧困の救済組織であるけれども外に出でてはアルコールの獲得組織で、この徒党は国民酒場を占領し三四本ずつビールを飲み酔っ払って芸術を論じている。彼等の帽子や長髪やネクタイや上着は芸術家であったが、彼等の魂や根性は会社員よりも会社員的であった。

これは昭和21年の作品。
この文章は当時の新聞記者と映画の演出家を言い表した文章なんだけど、今日のあらゆる業界のデザイナーやディレクターやアーティストなどと呼ばれる業種に当ててみてもいいね。
そして、こんな文章もある。

彼等の心得ているのは時代の流行というだけで、動く時間に乗遅れまいとすることだけが生活であり、自我の追求、個性や独創というものはこの世界には存在しない。彼等の日常の会話の中には会社員だの官吏だの学校の教師に比べて自我だの人間だの個性だの独創だのという言葉が氾濫しすぎているのであったが、それは言葉の上だけの存在であり、有金をはたいて女を口説いて宿酔の苦痛が人間の悩みだと云うような馬鹿馬鹿しいものなのだった。

そして彼等の職業をこう言い切っている。

賤業中の賤業であった。

通常の企業よりも何倍も性質の悪い稚拙な派閥があり、仲良しクラブみたいな徒党があって、そこでわいわいがやがや、芸術だの何だの騒いでる。
そんな仲良しクラブがパリのカフェに集う芸術家なんかを気取って、何々主義者だのムーブメントだの抜かしてね、ディレッタントの下の下の下の阿呆相手に威張り散らして金儲けてるんだから、そりゃ賤業も賤業、賤賤業だよ。
いや、賤賤賤業だよ、いや賤賤賤賤業だね。

よくさ、昔の小説なんかにはこんな注意書きが記されてあるよね。

なお本作中には、今日の観点からみると差別的表現ととられかねない箇所が散見しますが、著者自身に差別的意図はなく、作品自体のもつ文学性ならびに芸術性、また著者がすでに故人であるという事情に鑑み、原文どおりとしました。

この一文が僕をより生き難くさせる。
いや、正確には、この一文を添えなければならない時代が、だね。

「白痴」や「盲目」、果ては「気違い」が、時代を超えて芸術作品の題材としてたびたび用いられる理由って知ってる?

僕は知ってるよ。

「白痴」や「盲目」、果ては「気違い」、それこそが真の芸術家の目指す存在だからだよ。

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2009年8月3日月曜日

アルベールカミュの『異邦人』を読んで



アルベールカミュの『異邦人』を読んで、一種の感動を覚えた。

「カミュの異邦人」と聞けば僕のような無学な阿呆でもなんとなくその存在は知っており、まあ有名な作品なんだからそれなりなんだろう、というおぼろげな先入観もあったんだ。
ましてやカミュと言えばノーベル文学賞作家なので、僕が以前愛読していた作家で同じくノーベル文学賞受賞者のアンドレジッドみたいに、いささか説教くさいことも書いてあるんじゃないだろうか、と、読む前から若干身構えた部分もあったよ。

異邦人の簡単な解説として、文庫本の裏表紙にはこう記してある。

母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画をみて笑いころげ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と答える。
判決は死刑であったが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。
通常の論理的な一貫性が失われている男ムルソーを主人公に、不条理の認識を極度に追求したカミュの代表作。

なんだかとりあえず無茶苦茶な奴が、狂言を吐きながら暴れ死に行く風変わりな話かと思いきや、読み始めたら、これがまあ、なんとも、あらゆる予想や期待に反し、爽快なまでに淡々と続く主人公ムルソーの独白。

それが破天荒なものでもなく、陰鬱なものでもなく、かと言って、陽気なものでもない。
僕の最も言いたい感想として、これほどまでに生々しい小説は読んだことがない。
いや、正確に言うと、生々しい文体、なのかもしれない。

無論のこと、「生々しい」と感じるということは幾つかの要因があるだろう。
例えば、その文章が己の日頃の思考、或いは奥底に眠る心情と一致した。
もしくは、その文章が今現在の時代性と共通した空気を放っていた。
それか単純に、写実的な描写により作中のもの・ひとが眼前に浮かんだ。

しかしこの物語は、決して執拗なほどに細かなディテールが描かれているわけでもない。
主人公の情動に満ちた言葉が惜しげもなく吐露されているわけでもない。
むしろ、全体的に不親切なまでに最低限の描写しか用いられていない。
そして、時代は1930年から1940年、場所はフランス、主人公はどこにでもいる、勤め人だ。

前述した簡単なストーリー解説だけ読むと主人公ムルソーは変人とも言っていいほどの奇異な人物なのだろうと思ってしまうが、実際に作中で語るその男の姿は、平凡そのもの。
確かに主人公は母親の死には涙も流さず、翌日にはその日出会った女と接吻を交わし、アパートの住人に自分を騙したビッXへの復讐劇の相談に乗り、その果てに一人の人間を銃殺し、もう息絶えた死体に余計に四発の銃弾を撃ち込み、捕まり、法廷では殺人の動機について「太陽が眩しかったから」などと気取った言葉を言い放った。
しかし、それでも、主人公は、ごく平凡な、取るに足らぬ、ただの男なんだ。

では何故に彼は人を殺め、法によって裁かれ、断頭台へ上がることになってしまったのか。
その原因は、まさに、彼の言った通り、「太陽が眩しかったから」。

この『異邦人』の中で、三箇所、印象に残った文章があった。
ひとつは、彼の獄中での文章。

藁布団とベッドの板との間に、実は、一枚の古新聞を見つけたのだ。すっかり布にはりついて、黄いろく、裏がすけていた。その紙は、頭の方こそ欠けていたが、チェコスロバキアに起こったらしいある事件の記事を載せていた。一人の男が金をもうけようと、チェコのある村を出立し、二十五年ののち、金持ちになって、妻と一人の子供を引き連れ、戻って来た。その母親は妹とともに、故郷の村でホテルを営んでいた。この二人を驚かしてやろうと、男は妻子を別のホテルへ残し、ひとりで母の家に行ったが、男が入って行っても、母にはそれと見分けがつかない。冗談に、一室かりようと思いつき、金を見せた。夜なかに母と妹とは男を槌でなぐり殺して、金を盗み、死体は河へ投げ込んだ。朝になって、男の妻が来て、それとは知らずに、旅行者の身許を明かした。母親は首をつり、妹は井戸へ身を投げた。私はこの話を数千回も読んだはずだ。一面ありそうもない話だったが、他面、ごく当たり前な話でもあった。いずれにせよ、この旅行者はこうした報いをうけるねうちがないでもない、からかうなんぞということは断じてすべきでない、と私は思った。

二つ目は、死刑という判決が下った後、悔い改めさせるために訪問した司祭との口論の末に吐き出した、最初で最後の、主人公の叫び。

君はまさに自信満々の様子だ。そうではないか。しかし、その信念のどれをとっても、女の髪の毛一本の重さにも値しない。君は死人のような生き方をしているから、自分が生きているということにさえ、自信がない。私はといえば、両手はからっぽのようだ。しかし、私は自信を持っている。自分について、すべてについて、君より強く、また、私の人生について、来たるべきあの死について。そうだ、私にはこれだけしかない。しかし、少なくとも、この真理が私を捕えていると同じだけ、私はこの真理をしっかり捕えている。私はかつて正しかったし、今もなお正しい。いつも、私は正しいのだ。私はこのように生きたが、また別な風にも生きられるだろう。私はこれをして、あれをしなかった。こんなことはしなかったが、別なことはした。そして、その後は? 私はまるで、あの瞬間、自分の正当さを証明されるあの夜明けを、ずうっと待ち続けていたようだった。何ものも何ものも重要ではなかった。そのわけを私は知っている。君もまたそのわけを知っている。これまでのあの虚妄の人生の営みの間じゅう、私の未来の底から、まだやって来ない年月を通じて、一つの暗い息吹が私の方へ立ち上ってくる。その暗い息吹がその道すじにおいて、私の生きる日々ほどには現実的とはいえない年月のうちに、私に差し出されるすべてのものを、等しなみにするのだ。他人の死、母の愛−そんなものが何だろう。いわゆる神、ひとびとの選びとる生活、ひとびとの選ぶ宿命−そんなものに何の意味があろう。ただ一つの宿命がこの私自身を選び、そして、君のように、私の兄弟といわれる、無数の特権あるひとびとを、私とともに、選ばなければならないのだから。君はわかっているのか、いったい君はわかっているのか? 誰でも特権を持っているのだ。特権者しか、いはしないのだ。他のひとたちもまた、いつか処刑されるだろう。君もまた処刑されるだろう。人殺しとして告発され、その男が、母の埋葬に際して涙を流さなかったために処刑されたとしても、それは何の意味があろう? サラマノの犬には、その女房と同じ値うちがあるのだ。機械人形みたいな小柄な女も、マソンが結婚したパリ女と等しく、また、私と結婚したがったマリイと等しく、罪人なのだ。セレストはレエモンよりすぐれてはいるが、そのセレストと等しく、レエモンが私の仲間であろうと、それが何だろう? マリイが今日もう一人のムルソーに接吻を与えたとしても、それが何だろう? この死刑囚め、君はいったいわかっているのか。

と、ほぼ半狂乱とも思える、主人公ムルソーの叫び。
しかしムルソーはこの叫びを終えた後、自分は幸福であると悟る。

三つ目は作中ではなく解説に載っていた、カミュ本人が『異邦人』を語った言葉。

母親の葬儀で涙を流さない人間は、すべてこの社会で死刑を宣告されるおそれがある、という意味は、お芝居をしないと、彼が暮す社会では、異邦人として扱われるよりほかはないということである。ムルソーはなぜ演技をしなかったか、それは彼が嘘をつくことを拒否したからだ。嘘をつくという意味は、無いことをいうだけでなく、あること以上のことをいったり、感じること以上のことをいったりすることだ。しかし、生活を混乱させないために、われわれは毎日、嘘をつく。ムルソーは外面から見たところとちがって、生活を単純化させようとはしない。ムルソーは人間の屑ではない。彼は絶対と真理に対する情熱に燃え、影を残さぬ太陽を愛する人間である。彼が問題とする真理は、存在することと、感じることとの真理である。それはまだ否定的ではあるが、これなくしては、自己も世界も、征服することはできないだろう。

と言うわけで、僕はこの『異邦人』、結構気に入っている。
唯一、題名が気に入らないね。この邦題が。
原題は『L'Etranger』、英語圏では『The Stranger』か『The Outsider』となっている。
まあ異邦人でも訳は正確なんだけどね。

まあ、異邦人、興味が湧いたら、読んでみると良いよ!

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2009年4月7日火曜日

蜘蛛との対話



これは決して冗談や作り話ではなく、あくまでも僕の経験に基づいた一つの真実なんだ。

僕の作業机は窓際に沿って配置されていて、僕の座るすぐ横に大きな窓があり、少しでも首を傾ければ窓の外の様子がうっすらと眺めやれる。その窓は白く細やかな目のレースのカーテンに覆われていて、その表面に、 カーテンという大地の上を平行に這う蜘蛛を、僕は時たま見かける。

机上に視線を留まらせていると、視界の左端のほうで何やらちょこまかと動き回る小さい影に気付く。ふと目を向けると、1センチメートルにも満たない小さな蜘蛛が細かい糸目の上を素早く、しかしその移動範囲は非常に狭く、這い回っている。
僕は見つめる。彼のその小さな迷走とも呼べるであろう中心定まらぬ周回を、じっと見つめる。
その無目的的に見えざるを得ない忙しなさのあまり滑稽にも思える彼の小さなダンスを、僕が無感情に、無表情で、しかし一抹の興味を懐いて見つめ続けて数秒、突然彼はその四対の脚の動きを止めて頭胸部を上方に強く反らせると、確認できぬほどの極小の眼をこちらに向けたんだ。
そしてそのまま、はたと動かない。こちらに眼を向けたまま、僕のほうをじっと見ている。
僕は、まあこれはいささか他人から見れば酔狂なことだけど、こちらを見返してきたその蜘蛛の眼をより強く見つめ直し「お前は僕に何かを伝えようとしているのかな」と、声に出して訊ねたんだ。
僕がこのような愚にもつかぬような行為にいたったには理由がある。
このように「蜘蛛をじっと見つめていたら蜘蛛にじっと見つめ返された」という体験はこれが初めてではなく、それどころかもう数えきれないほどに今まであった。
そのたびに若干の疑念を懐きつつも無言で終えていたことに何らかの行き詰まりを感じ始めていた僕は、とうとう今回しびれを切らし「蜘蛛との対話」を試みたというわけなんだ。

「お前は、いや、正確には、お前ら、は、いつもそうやって僕が見つめていると頭を反らして見返してくるが、はたしてお前は僕がしばらくお前の動きを観察していたことに気付いていたのかな」

と、僕がさらに訊くと、蜘蛛は僕を見つめたまま何も変化がない。

「僕が見ている、という一種の気配といったものをお前は感じとるのかな」

蜘蛛はその上体を反らしたポーズのまま時が止まったかのように静止したままだ。

「なんだかお前らの一族は僕の前につとめてしょっちゅう姿を現しているようだけど、何か僕に特別な用事があるのかな」

そう言っても蜘蛛はまったく動かない。

「それともただ単純に、僕が見つめていることが気に入らないから憤怒の気持ちで見返してくるのかな」

もはや僕もこの試みを諦めざるを得ないほどに、蜘蛛には何の変化も確認できない。

僕が蜘蛛に意識を残したまま目をそらし、机上に視線を戻した数秒後、蜘蛛はやっと自分から目を離した相手に満足したかのようにゆっくりと上体を戻すとまたちょこまかと動き始めた。


これはつい数分前の出来事だよ。
彼らは何者かの視線を敏感に察し得る特性を備えた生物なのかな。
或いは、ほかでもないこの僕に何か特別な伝言をその腹中に詰め込んだ生物なのかな。

そのどちらか、ないしまた違った可能性を僕がつかみ納得し得るまでは、僕は蜘蛛との対話を執拗に試み続けるつもりだよ。

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2008年12月15日月曜日

現代の気弱な哲人たちと〈ブログ〉という慰安所

先日、出先でとある友人と話をしていた際、何かの拍子に存在や意識やら時間や空間やらといったような途方もない話題になりかけた瞬時にその友人が「おい、大丈夫か、誰かに聞かれてやしないだろうな」と、苦笑しながら呟いた。

ま だ青く瑞々しき学生時分の俺達であったなら、そんな話がひょいと片隅から出るたびに飛び上がり頼まれもせぬのに滔々と語り出しある種の恍惚を表情に浮かば せながら机上を叩き、聴衆の目を真っ向から見つめては熱弁の抑揚のままにさながらオーケストラの指揮者のように両腕を果敢に振り動かし、やっとのことで一 通り論じ終わると「ソクラテスよ、聞いたか!」などと叫んでいただろうが、今はそう元気よくはいかないようだ。

つまりその友人の言う「おい、大丈夫か、誰かに聞かれてやしないだろうな」という懸念の言葉が表すように、どうやら今の齢の俺達にはその話は気恥ずかしさの伴うものなのである。

友 人の力弱く上げられた眉に一瞬言葉を止めた俺は、友人の苦笑いよりかは幾分気楽な微笑を返しながら「大丈夫だ、高名たる哲人たちを見よ、みな立派なじじい さ」と言ったが、友人はなお晴れぬ面持ちで「だが、奴らが躍起になってあの禿げ頭をひねらせ考えに考え抜いていたことなど、現在では神様仏様科学様の中で も最も“やり手”とされる科学様が、惜し気もなく白昼にさらしてくれちまってるよ」と返した。

〈時代〉というものが現代の気弱な街角の哲人たちの根源的な言葉を弾圧し彼らの苦悩をも貶めていることも確かで、だがその迫害の渦中にあってもなお懐中で暖め続けた気高き想念を携え輝かしい壇上に立ち雄弁を振るうという夢想は彼らの心に尽きることはない。

もしこういったブログというものが、彼らの行く先なき言葉たちの、謂わば一つの慰安所としての役割を果たしているのであればそれはとても歓迎すべきことだ。

かく言う俺も、それと決して遠からぬ意義をこのブログというものに見いだしているからこそこうして書いているんだろう。

あらゆる意味での真価や、さらには可能性というものがその評価される対象の存在する時間内には見いだされないことも往々にしてあることだから、あまり外貌だけにとらわれずに気楽にやってみるのが、今は良い

2008年9月10日水曜日

HUNTER, !!


煙草が買えないのでかねてから予備として保存してあったハンターという煙草を開封してみると、中に名刺より一回り小さいくらいのカードが入っていたんだ。
そこには「Do you smoke? Oh yes, !!」というキャッチフレーズが記されていたよ。
なぜわざわざそんなキャッチフレーズを印刷したカードを入れたのか。
そして何故に「Do」と「you」の間が全角スペースなのか。
それに加え「yes,」と一度止めておいてまた全角スペースを置いて「!!」とはどういうことか。
謎は深まるばかり!

その下には「Call us toll free」と記され電話番号が。
電話すると何か宇宙の真理的なことを教えてもらえるのだろうか。
もしやこれは選ばれた者にのみ教えられる電話番号なのか。
通常はこんなカードは入っておらず、チャーリーとチョコレート工場のようにこのカードが入っていたらアタリで記載された番号に電話するとハンター製造工場に案内されてその摩訶不思議な煙草の製作過程を事細かに見学できるのだろうか。
そう思って電話してみようかとエキサイティングしていたら箱の側面に「お客様相談室」として同じ番号が記されていたよ。
なんだよ。夢も希望もない!

でももっと謎なのは裏面。
「It's challenging work. やりがいのある仕事です。」とだけ、記されている。
だから一体なんなんだろうこのカードの意味は。
もしかしたらこれは求人広告なのだろうか。
さあ君もハンター製造工場でやりがいのある仕事を始めないか、ってことなのか。
本当に謎は深まるばかりだ。

そしてカード以外にも謎はある。
普通の煙草は20本入りだけど、このハンターは18本しか入っていない。
箱のサイズは普通の煙草と同様なので開けると2本分スカスカしている。
何故に2本を惜しむのか。非常に謎だ。
僕のやつが欠陥商品だったというわけではない。
パッケージにも「18」と記されている。

なんなんだろうこの煙草は。
メーカーはUKの会社のようだ。
味はただのメンソール。

この煙草を買ったのはかなり前のことだけど、こんな謎に満ちた煙草だとは思わなかったよ。



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2008年8月5日火曜日

無価値な愛の台詞を吐くより、ひと一人笑わせるユーモアを謳え。



僕が生きる上で必要不可欠だと思うもの。
これが無くなったら僕は死ぬだろう。

そして僕自身これには絶対に勝てないと思っている。

コメディ。

ユーモア、皆を笑わせたい、楽しませたいという強い思いはあらゆる芸術を超越する。

チャップリンの喜劇なんか今観ても本当に神がかりだよね。
キートンの体を張った喜劇も半端じゃない。
ミスタービーンだって恐ろしく尊く感じられるよ。

特にチャップリンは本当に素晴らしい。
彼は自身で脚本を書き劇中に演奏される音楽も作曲している。
彼のチャーミングな芸風は誰にも真似できない。
喜劇王としての地位を今もなお誰にも超えられていない傑出した大天才なんだ。

彼の晩年の作品ライムライトは自伝的映画で、喜劇王の光と影を描いている。
劇中のチャップリンは全盛期のかわいらしい面影もなく、すっかり年老いた紳士だ。
過去の名声にすがりやっとの思いで舞台に出させてもらうが、観客にはまったくうけず野次を飛ばされ、彼はすっかり自信をなくしてしまう。
そして帰宅した彼は涙を流す。舞台にはもう上がりたくないと弱音を吐き、俺のことはもう誰も笑ってくれない、観客が怖い、と泣く。
それを観た僕も泣いてしまった。

僕は神を信じないが、コメディは信仰する。
僕は愛を信じないが、ユーモアは信仰する。

ユーモアのない人間なんて大嫌いだ。

神の名の下に世界平和を願うより、コメディで己の憎しみや哀しみを壊せ。
無価値な愛の台詞を吐くより、ひと一人笑わせるユーモアを謳え。

コメディこそが世界を救う。

僕はそう確信しているんだ。

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