2011年1月16日日曜日

愛すべき可憐な魔法



異国からの帰り、空港での話。

僕がチェック・インを済ましまだ搭乗まで時間があったので空港内をぶらつき始めると、ちょうどその日はクリスマスであったために港内にはクリスマスソングが陽気に流れ土産品等の売店もささやかな装飾で楽しく彩られており、きっと子供であればはしゃぎ回るであろう微笑ましい状況に囲まれ歩く僕の心も年がいもなくわずかながら浮かれ始めていた。

その誰もが歓迎するであろう嬉しい雰囲気を味わいながら二三の土産品を購入し、僕は出国審査のゲートに向かった。

列に加わり様々な人種を眺めながら順を待ち、精悍な顔立ちをした女性職員にパスポートを手渡した後、僕は何の気なしに彼女の顔をじっと観察する。

僕と対面して小さな挨拶を交わしてもにこりともしないその女性職員は、極寒の地を思わせるほどに非常に厳格な白さをその肌に備え梃子でも動かし得ぬような重厚な信念をその鋭く青い瞳に宿しているかのよう。

彼女の厳めしい顔つきと堅苦しい表情は、あの不朽の名作映画「ライフ・イズ・ビューティフル」の一場面、強制収容所内の一室で何かにつまずき転びかけた女性所員がそばにいた老いたユダヤ人紳士の貸した手と心づかいの言葉に対し厳しい目付きで冷ややかに睨みつけ黙ったまま去っていったシーンを僕に思い出させた。

彼女はパスポートの顔写真と僕の顔を稲妻のような眼差しで見比べぱらぱらとページをめくり然るべき箇所にスタンプを押し、パスポートを僕に差し出しながら今さっきまでの冷然とした表情とは相反して見違えるほどの美しく穏やかな笑顔を浮かべると、「Thank you! Merry Christmas, sir!」と跳ね飛ぶような声で言った。

まったくその変貌ぶりは、数秒前の表情が先にも述べたユダヤ人強制収容所の冷酷なる女性所員だとするならば、今の表情はまるで空港内でのクリスマスの楽しい雰囲気に全身を最大限に任せ飛び上がるように歩き回っている可愛らしい少女のようだったんだ。

それは非常に印象的な出来事だった。
しかしそれよりもさらに印象的な対比として僕の記憶に残ったのが、12時間のフライトを経て成田へとたどり着いた時のこと。

我が成田空港内は、いたって無音だった。
港内には特別な装飾など微塵も施されず、ただ無機質な通路に人々の足音と航空機の発動音だけが時たま響いていた。

入国審査の女性職員は、むっつりとした表情で僕のパスポートを受けとると、そのままむっつりと返した。

おお、あのユダヤ人強制収容所の冷酷なる女性所員でさえも屈託なき一少女の笑顔へと戻し得てしまうほどに強烈かつ愛すべきクリスマスという可憐な魔法は、成田空港及びここに勤める女性職員には残酷なまでにまったく無力であったのだ!

真面目で勤勉、は日本人の特徴であり美徳とされている常套句だ。もちろん知っていたよ。

だけどさ、まるでホームパーティーのように気楽で陽気だった異国の空港で、この真面目で勤勉な日本人である僕も静かにはしゃぎだし、いつもの事務的挨拶に加え「メリークリスマス!」と嬉しそうに言ってくれた美しき女性職員の満面の笑顔に、同じように笑顔で「メリークリスマス!」と返した僕の決して小さくはない喜びも、それは日本人どころか国籍は問わず、この世界中の誰もが歓迎すべき、愛すべき、楽しむべき、嬉しさなのではないだろうか!

僕は「メリークリスマス」というあくまでも無邪気な祝いの言葉を空港の職員の口からはおろか港内の店先にも内装のどこにも見付けられなかったことに、幼き悲哀と、若き失望を覚えながら、タクシーに乗り込みしょげ返ったまま帰路に就いたよ。

もっと楽しもうジャパニーズ。

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